2008-03-11 05:53:40
アリバイ宝石 [ ブログ ]
二度寝してしまったため、というか体調がホント良くなくってルミネバーゲンには閉店1時間前に到着汗夜は2度ぐらいになり相当寒い。それまで何していたかというとまたお笑い番組をダラダラ見ていました。正月限定アントニオ小猪木とアントキの猪木が組んだイノキーズのネタが個人的にツボでしたがそろそろお笑いもネタの使いまわしがちらほら出てきていて出っ放しもどうかと思ったり。見すぎている私もどうかと。。ルミネのセールは初日ということもあって終わり間近でも凄い人だかり。行政指導が入ったアローズも凄い人。ビームスは気になっていたダウンジャケットが無い!今期のは倉庫行きかあ。。シップスで気になったのもそうだけれど今シーズンの物を出すところは少なめ。DIESEL、REPLAY、マーガレットハウエルなどは今シーズンのを売り切りたいって感じ。プロパー高めでセールまで待っても良かった物が多かった。REPLAYはセールの時は割引カードにポイントが貯まらないシステム。壱見さんとの差別化にそういうのもありだと思う。DIESELはセール対象外のデニムがバンバン売り切れるためにシーズンごとの商品はシャツ買うぐらいでもいいのかもなあ。。しかし売り切れるモノも多数あるので見極めが難しい。
アリバイ
2008-03-11 05:53:14
ムンクの絵画と競馬予想 [ ブログ ]
ムンクは色の使い方とか構図が好き。ナチスに頽廃芸術の烙印を押されたけれど他には無い作品。
ささっと見て常設展へ。そのあと風俗へ。オノレドーミエの作品見たかったのに
工事で来年まで見れないそう。。
上野御徒町を徘徊。上野丸井セール行ったけれど
丸井系の服はもう興味わかない。アリバイもない。トルネードマートもしばらくはいいかな。。
椿が本気ガミする時あるので対策本を買う。
かまってもらいたい時にアマガミするんだけれど
おやつあげるとそれを必死に守ろうとしてガブってする。。
トラブルの元になるおやつはあげちゃいけないんだそうな。
後、ベランダに落ちていたよく分からないゴミ?を必死で守ろうとするのも
困りもの。。
ララには無かったので発情期はもっと困るだろうなあ。。
元気なのはいいんだけれど。
エイリアンVSプレデター2見れたら見ようっと。
競馬 予想
2008-03-11 05:52:49
風俗マッコリーニ [ ブログ ]
パラスの後輩に正月ボケしてますねえと言われたので
遠出して終了マジカの
ムンク展へ。そのあと風俗へ。クレジットカードが使えるんだね。ラッキー!
そこそこ混んでいる。
ロッカーで荷物入れているときにタイミング悪く
私と年あまり変わらない人に「ロッカー空いていますか?」
ときかれて私が入れていますといったら連れのお母様らしき人が「ここ空いているよ!」と女の人に言ったら(私が荷物入れているロッカー)
「この子が入れるみたいよ」と言われ、、この子ってのが引っかかった。
学生ぽく見えたのかなあ、、ちょいとガッカリ。
マドンナを3年ぶりぐらいに見る。
全体的に習作が多くてちょっと物足りなさを感じた。
個人的に好きだった作品は「嫉妬」
風俗
2008-03-11 05:50:50
プレ出たー高収入 [ ブログ ]
エイリアンVSプレデター2を観ました。
シネコンポイントが貯まっていたので無料で観劇。
1日が映画の日だったのでガラガラ。。
最近満席って映画無い気がしてこのシネコン大丈夫かなあ?と思ってしまったり。
内容はB級もいいとこ。。
カプコンが出したアーケードゲーム「エイリアンVSプレデター」を
越える作品にはならなかった。
「エイリアン」は小さいころ観た時はホントセンセーショナルだったけれど
今観るととってもつまらない。アリバイもない。。。。
映像技術が上がって目が肥えたけれど面白いアクション映画って
最近でもないけれど「香港警察」とか「マッハ!」とか「グリーンディスティニー」ぐらいかなあ。。
帰宅して椿の散歩。散歩行く格好をしている私を見て
行く気満々!だけれど玄関でてビタっと止った。。
どうしたんだろう?寒いのかなあ、、
私と行く前に父が連れて行ったらしいけれど
良くなかったみたい。
分からないけれど何か嫌な思い出もしたのだろうか
散歩しないと椿のストレスもたまっちゃうし
悩む。。
さてさてネコ付きコーナーライフル。。。。
動画見ましたがあわれネコのぬいぐるみは
連射するごとに顔部分から綿が。。
高収入
2007-12-26 14:30:05
いつのまにかレガのデザイン変わってるし [ ブログ ]
自転車で走ると、
道を横断するたびに、
車を先に行かせる。
車道の右側の歩道を走るとき、
路地や店から出てくる車は、
歩道を左手からくる歩行者、自転車を確認しない。
だから止まって確認しないと、轢かれそうになる。
信号待ちしていると、
見ず知らずの老人(限定)と世間話する。
平日の午前、歩行者のほとんどが老人で、
なんだか話しかけてくる。
冷えるねぇ。
秋になってきましたね。
2007-12-26 13:38:07
(´△` )これはひどい [ ブログ ]
今、ラジオ深夜便が終わって、
榊アンカー(アンカーって何?)さんが、
今日もいい日曜日でありますようにと、
お決まりの言葉で終わった。
ほかの番組でも、NHKは、
今日はいい日でありますようにとかいう。
若いころ、意味のない言葉だと思っていた。
最近、なんだかぐっと来る。
2005-12-31 23:38:11
蘭軒雑記に拠れば、 [ ブログ ]
所謂(いはゆる)浅草太郎稲荷の流行は此七月の頃始て盛になつたさうである。社の在る所は浅草田圃で、立花左近将監鑑寿(あきひさ)の中屋敷であつた。大田南畝が当時奥祐筆所詰を勤めてゐた屋代輪池を、神田明神下の宅に訪うて一聯を題し、「屋代太郎非太郎社、立花左近疑左近橘」と云つたのは此時である。
その二十三
此年享和三年十月七日に、蘭軒が渡辺東河を訪うて、始て伴粲堂(ばんさんだう)に会つたことが、蘭軒雑記に見えてゐる。粲堂、通称は平蔵である。煎茶を嗜(たし)み、篆刻(てんこく)を善くした。此日十月七日は西北に鳴動を聞き、夜灰が降つたと雑記に註してある。試に武江年表を閲(けみ)するに降灰(かうくわい)の事を載せない。
蘭軒の結婚は家乗に其年月を載せぬが、遅くも此年でなくてはならない。それは翌年文化元年の八月には長男榛軒(しんけん)が生れたからである。蘭軒には榛軒に先(さきだ)つて生れた子があつたか否か、わたくしは知らない。しかし少くも男子は無かつたらしい。分家伊沢の人々の語る所に依れば、蘭軒には嫡出六人、庶出六人、計十二人の子があつたさうである。歴世略伝にある六人は、男子が榛軒常三郎柏軒、女子が天津(てつ)長(ちやう)順(じゆん)である。常三郎は榛軒に後るゝこと一年、柏軒は六年にして生れた。名録には猶一人庶子良吉があつて、文化十五年即ち文政元年正月二日に歿してゐるが、これも榛軒の兄ではなささうである。わたくしが少くも先つて生れた男子は無かつたらしいと云ふのは、これがためである。

2005-12-30 23:37:50
秋に入つて七月十五日に [ ブログ ]
蘭軒は渡辺東河(とうか)、清水泊民(はくみん)、狩谷斎、赤尾魚来(ぎよらい)の四人と、墨田川で舟遊をした。蘭軒に七絶四首があつたが、集に載せない。只其題が蘭軒雑記に見えてゐるのみである。東河、名は彭(はう)、字(あざな)は文平、一号は払石(ふつせき)である。書を源(げん)東江に学んだ。泊民名は逸、碩翁と号した。亦書を善くした。魚来は未だ考へない。
享和三年には蘭軒が二月二日に吉田仲禎狩谷斎と石浜村へ郊行した。仲禎、名は祥、通称は長達である。幕府の医官を勤めてゐた。次で十九日に又大久保五岳、島根近路、打越(うちごし)古琴と墨田川に遊んだ。五岳、名は忠宜(ちゆうぎ)、当時の菓子商主水(もんど)である。近路古琴の二人の事は未だ考へない。此二遊は蘭軒雑記に「享和閏(うるふ)正月」と記し、下(しも)三字を塗抹して「二月」と改めてある。享和中閏正月のあつたのは三年である。故に姑(しばら)く此に繋ける。墨田川の遊は、雑記に「甚俗興きはまれり」と註してある。
此年七月二十八日に、蘭軒の父信階の養母大久保氏伊佐が歿した。戒名は寿山院湖月貞輝大姉である。「又分家」の先霊名録には寿山院が寿山室に作つてある。年は八十四であつた。

2005-12-29 23:37:33
此年には猶多紀氏で [ ブログ ]
蘭軒の友柳庭(りうはんさいてい)の祖父藍渓が歿し、後に蘭軒の門人たる森枳園(きゑん)の祖父伏牛(ふくぎう)が歿してゐる。蘭軒の父信階は五十八歳になつた。
享和二年には二月二十九日に蘭軒が向島へ花見に往つたらしい。蘭軒雑記にかう云つてある。「吉田仲禎(名祥、号長達(ちやうたつとがうす)、東都医官)、木村駿卿、狩野卿雲、此四人(たり)は余常汝爾之交(よつねにじよじのまじはり)を為す友也。享和之二二月廿九日仲禎君と素問合読(がふどく)なすとてゐたりしに、卿雲おもはずも訪(とぶら)ひき。(此時仲禎卿雲初見)余が今日は美日なれば、今より駿卿へいひやりて墨田の春色賞するは如何(いかに)と問ぬ。二人そもよかるべしと、三人(たり)して手紙認(したゝめ)し折から、駿卿来かかりぬ。まことにめづらしき会なりと、午(ひる)の飯(いひ)たうべなどして、上野の桜を見つつ、中田圃より待乳山にのぼりてしばしながめつ。山をおりなんとせし程に、卿雲のしたしき泉屋忠兵衛といへるくるわの茶屋に遇ひぬ。其男けふは余が家居に立ちより給へと云ふ。余等いなみてわかれぬ。それより隅田の渡わたりて、隅田村、寺島、牛島の辺(あたり)、縦に横に歩みぬ。さてつゝみより梅堀をすぎ、浅草の観音に詣で、中田圃より直(すぐ)なる道をゆきて家に帰りぬ。」此文は年月日の書きざまが異様で、疑はしい所がないでもないが、わたくしは且(しばら)く「享和之二二月」と読んで置く。

2005-12-28 23:37:19
その二十二 [ ブログ ]
蘭軒は此年享和元年の元日に七律を作つた。※[#「くさかんむり/姦」、7巻-43-上-14]斎詩集の「辛酉元日口号」が是である。首句に分家伊沢の当時の居所が入つてゐるのが、先づわたくしの注意を惹く。「昌平橋北本江郷」と云つてある。本江(ほんごう)の郷(きやう)と訓(よ)ませる積であつたのだらう。
次に蘭軒生涯の大厄たる脚疾が、早く此頃に萌してゐたらしい。詩集は前に云つた元日の作の後に、文化元年の作に至るまでの間、春季の詩六篇を載せてゐるのみである。わたくしは姑(しばら)く此詩中に云ふ所を此年の下(もと)に繋(か)ける。蘭軒は二月の頃に「野遊」に出た。「数試春衣二月天」の句がある。此野遊の題の下に、七絶二、七律一、五律一が録存してあつて、数試春衣(しば/\しゆんいをこゝろみる)二月天(ぐわつのてん)は七律の起句である。然るにこれに次ぐに「頓忘病脚自盤旋」の句を以てしたのを見れば、わたくしは酸鼻に堪へない。蘭軒は今僅に二十三歳にして既に幾分か其痼疾に悩まされてゐたのである。
此年六月二十九日には蘭軒の師泉豊洲が、其師にして岳父たる細井平洲を喪つた。七十四歳を以て「外山邸舎」に歿したと云ふから、尾張中将斉朝(なりとも)の市谷門外の上屋敷が其易簀(えきさく)の所であらう。諸侯の国政を与(あづか)り聴いた平洲は平生「書牘来、読了多手火之」と云ふ習慣を有してゐた。「及其病革、書牘数十通、猶在篋笥、門人泉長達神保簡受遺言、尽返之各主。」長達は豊洲の名である。神保簡は恐くは続近世叢語の行簡(かうかん)、宇は子廉であらう。蘭室と号したのは此人か。蘭軒の師豊洲は時に年四十四であつた。
